先山 先光寺 vol.2
先山の頂上に千手観音菩薩を本尊とする千光寺があり、今なお霊山としての人々から信仰されています。
こちらには狛犬ではなく、狛猪が奉納されています。これには、漁師忠太による大イノシシ狩りの伝承(先山千光寺の縁起)が残っています。
西暦901年・播州上野の山奥に為篠王(いざさおう)と村人が名付けた、笹をかぶった大猪がいて、この村の大男・藤原豊広(別名・狩人忠太ちゅうた)は、何とかこの大猪を射とめて、播州地域のヒーローになってやろうと、もくろんでいました。
ある日、忠太は大きな弓矢を造って、山中でその大猪に向けて矢を放った所、それがこの大猪の背中に命中。その猪はそれでもくたばらず、背中に矢が刺さったまま、南東へ南東へ逃げ、遂には、今の明石大橋のある近辺の海を泳いで渡って、淡路島でいちばん高い山・先山に逃げ込んだとされています。
忠太も、この大猪を追いかけてこの先山まで登りつめると、山の嶺にある大杉の洞の中へよたよたと入っていく、背に矢のささったままの大猪を確認。忠太もさすがにこの洞の中で、くたばるだろうと待ち構えていると、、大杉の洞の中からよたよたと歩いて出てくる大猪を発見。背中から胸元にかけて弓矢は突きささったままで。「大猪まだ生きているのか?」と思った瞬間・あたり一面に後光(ごこう)がさしたかと思うと一瞬の内にその大猪が千手千眼観世音菩薩に変わってしまった。そして光り輝くこの千手観音の胸には、まぎれもなく忠太が山中で放った大きな矢が刺さったままであったとされています。
忠太は「これは大変なことをした。この大猪イザサオウは千手観音の化身だったのか。自分の名誉や欲得のためだけに、むやみに獣を殺傷すべきではなかった」と、自分の罪を深く反省して、頭を丸め、寂忍と名を改めて、仏道に入った。そして先山の頂に千光寺を建立し、本尊として千手観音を安置して礼拝したとの話が知られています。
こちらには狛犬ではなく、狛猪が奉納されています。これには、漁師忠太による大イノシシ狩りの伝承(先山千光寺の縁起)が残っています。
西暦901年・播州上野の山奥に為篠王(いざさおう)と村人が名付けた、笹をかぶった大猪がいて、この村の大男・藤原豊広(別名・狩人忠太ちゅうた)は、何とかこの大猪を射とめて、播州地域のヒーローになってやろうと、もくろんでいました。
ある日、忠太は大きな弓矢を造って、山中でその大猪に向けて矢を放った所、それがこの大猪の背中に命中。その猪はそれでもくたばらず、背中に矢が刺さったまま、南東へ南東へ逃げ、遂には、今の明石大橋のある近辺の海を泳いで渡って、淡路島でいちばん高い山・先山に逃げ込んだとされています。
忠太も、この大猪を追いかけてこの先山まで登りつめると、山の嶺にある大杉の洞の中へよたよたと入っていく、背に矢のささったままの大猪を確認。忠太もさすがにこの洞の中で、くたばるだろうと待ち構えていると、、大杉の洞の中からよたよたと歩いて出てくる大猪を発見。背中から胸元にかけて弓矢は突きささったままで。「大猪まだ生きているのか?」と思った瞬間・あたり一面に後光(ごこう)がさしたかと思うと一瞬の内にその大猪が千手千眼観世音菩薩に変わってしまった。そして光り輝くこの千手観音の胸には、まぎれもなく忠太が山中で放った大きな矢が刺さったままであったとされています。
忠太は「これは大変なことをした。この大猪イザサオウは千手観音の化身だったのか。自分の名誉や欲得のためだけに、むやみに獣を殺傷すべきではなかった」と、自分の罪を深く反省して、頭を丸め、寂忍と名を改めて、仏道に入った。そして先山の頂に千光寺を建立し、本尊として千手観音を安置して礼拝したとの話が知られています。
また、先山・千光寺は、洲本八景の一つと選定されています。洲本八景は、洲本市を代表する景勝地を8つとりあげて整備されたもののことです。
三原平野など南淡路一帯が見渡せ、よく晴れていれば四国も遠くに望めるとのこと。その光景は壮大なので、一度、足を運んで頂ければと思います。
[スタッフ:原田]
三原平野など南淡路一帯が見渡せ、よく晴れていれば四国も遠くに望めるとのこと。その光景は壮大なので、一度、足を運んで頂ければと思います。
[スタッフ:原田]
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