歴史の匂いを【1】

洲本市内から当館に来られる時に、山手をふとご覧頂きますと、天守閣風の建物(模擬天守)が見えます。

洲本城.jpg
昭和4年に三層の模擬天守が造られました。 模擬天守としては日本で最も古いものだそうです。

三熊山は古来、海路交通の要所として重要視されていて、はじめて城を築いたのは、大永6年(1526年)、四国の三好氏重臣、由良城主安宅治興。安宅氏は紀州熊野で熊野灘を本拠とした海賊だったそうです。

淡路一国を手中に治めた安宅治興の跡を継いだのが養子冬康で、天正9年(1581年)織田信長から淡路島攻略を命じられた羽柴秀吉の軍勢は由良城を攻め、これを落とし、その余勢を駆って島内に進軍した。洲本城の冬康はあっけなく、秀吉の軍門に降り、洲本城を開けた。その後仙石久秀・脇坂安治・藤堂高虎らが城主となって、脇坂安治が城の大改修の工を起こし、今日の洲本城と町の基礎が築かれ、城は現在の規模になったとのことです。

洲本城2.jpg

山上に残っている石垣は天正年間に脇坂氏が築いたものになります。

元和元年(1615年)徳島藩主蜂須賀至鎮が淡路城主となると、島の中央に位置するここ洲本城に本拠を定め、城を大改修し、寛文9年(1669年)に完成をした。

城には天守閣があげられ、大小幾つもの櫓と白塗りの塀が巡らされ、三熊山の美しさは、近世の山城として天下にその名が轟いていたとのことです。

元和元年(1615年)以後は徳島藩領となり、家老の稲田氏が在城。山上の城に代わって山麓に居館を築きました。

[スタッフ:原田]
観光 | - | -