おのころ島神社 vol.1

話題になってから時期遅れとなってしまいましたが、本日はおのころ島神社について紹介したいと思います。

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県道31号線、県道477号線を通って榎列方面に向かってもらって、榎並の幼稚園のすぐ隣になります。目印はやはり京都の平安神宮、安芸の宮島と並んで三大鳥居に数えられるこの赤い鳥居になります。

おのころ島(自凝島神社)は、古代の御原入江の中にあって、伊弉諾、伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くからおのころ島として親しまれ、崇敬されてきました。古事記、日本書紀によれば、神代の昔、国土早世の時に伊弉諾、伊弉冉命が天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮が、おのずと凝り固まって島となったとの記載があります。これがおのころ島であると。二神はこの島に降り立って、八尋殿を建て、先づ淡路島を造り、つぎつぎと大八洲を拓かれたとなっています。

この神話は、もとは、淡路の海人族(あまぞく)が伝えた「島生み神話」であったといわれています。それが、大和朝廷の起源を語る『古事記』や『日本書紀』に取り入れられ、その冒頭にすえられるようになったのは、大和朝廷が淡路に屯倉(みやけ)をおいて、淡路島を直接の支配下におき、さらに御饌都国(みけつくに)と呼んで食料貢献の特別な地としたことに関係します。

このようなことから、淡路の海人が朝廷に出仕するようになり、淡路の神話が宮廷に伝えられて、古事記や日本書紀の編纂の時期(奈良時代)に壮大な「国生み神話」となって語られたのであろうといわれています。


おのころ島神社 由緒.jpg

[スタッフ:原田]
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